Investigation Of A Citizen Above Suspicion
以下の様にして現代の「治安維持法」は構築され、拡張を重ねながら跋扈します。目的は軍国主義国家の成立と存続です。
特定秘密保護法(2013年成立)は、政府が保有する情報を、政府の都合だけで機密扱いにできる法律です。「安全保障に関する情報を『特定秘密』に指定し、それを漏洩させた人を処罰する法律」としていますが、適用範囲を曖昧にしてあります。この曖昧さに怪物が潜んでいます。隠蔽しておきたい事柄なら何でも「安全保障に関わる秘密」としておけば、公にすることができません。公益通報、取材に基づく報道があった場合、「それは安全保障を脅かす漏洩」だとして処罰が可能です。防衛や自衛隊に関する情報はすべて秘密にできますから、例えば、憲法に反する軍事行動を知り得た人が、これを公にするなら罰せられます。原子力発電所に異変が生じても、秘密扱いに指定されることでしょう。市民の知る権利は著しく侵害され、反対すべき時に声を上げらません。民主主義の状態から大きくかけ離れており、既にファシズム状態です。「特定秘密保護法」を守備と考えるなら、「スパイ防止法」は能動的、攻撃的法律です。
軍国主義者たちは、新たに「国家情報局」を立ち上げようとしています。国内外の人々の情報を集めるのが仕事ですので、市民を対象にスパイ活動を行うのです。この省庁横断型組織には公安警察(旧特別高等警察)が加わりますが、いよいよ彼らは水を得た魚となることでしょう。「スパイ防止法」が活用され、反軍拡、反戦争、反原発・反核兵器に関する言説と活動を、高度な監視化に置くことができます。反ファシズム、親ヒューマニズム(生命の尊厳を守る姿勢)としての言説と活動、つまり民主主義を取り戻そうとする人や市民運動に対し「左翼」や「反日」、「スパイ」や「テロリスト」のレッテルを貼り、喧伝します。防衛産業が引き起こした環境汚染を告発した人、責任を追及する市民運動も対象と成り得ます。こじつけや、些細な事柄を理由として検挙し、意味もなく勾留(身柄の拘束)を延長しながら、事実上の刑罰にしてしまう、そういったことを心配します。
治安維持法は1925年に施行、1945年に廃止されました。1931年の満州事変以降、日本を太平洋戦争へと向かわせた悪法です。『蟹工船』の著者、小林多喜二の惨殺は、暗い時代を象徴する事件の一つです。結局のところ、ファシスト官憲の職の保持を目的とする弾圧と化し、こじつけ同然の検挙と逮捕が横行、俳人・詩人たちもまた自由な創作活動を奪われ(京大俳句会事件や神戸詩人クラブ事件)、シュールレアリスト(福沢一郎や瀧口修造)らが標的となりました。
瀧口修造と福沢一郎は其々、治安維持法違反の被疑で、警視庁の特高(特別高等警察)が検挙しました。「シュール・リアリズムは反ファッショ的傾向を濃厚に持ち、且(かつ)共産主義理論の革命性と相通ずるもの」(『特高月報』1941年4月)*¹というのが理由です。
共産主義を手助けする思想や運動と断じ、目的遂行罪が適用された訳ですが、蟻地獄の巣を火山の大噴火と見るような拡大解釈であることが分かります。二人は9カ月間も勾留され、その後釈放となります。この事件を機に、日本のシュールレアリズムは膠着状態に陥ります。
因習や固定観念により生み出された精神の牢獄から私たちが解放される時、共産主義が立ち現れるのだと、ファシストは考えてしまうようです。文部省教学局の文書(1942年9月)にはサルバドール・ダリの作品〈記憶の固執〉を取り上げた箇所があり、「それが性的慾望の抑圧であれ、又如何なる慾望の抑圧であれ、それが完全に充足される世界はこの正統シュールレアリストにとって完全に人間性が解放さるべき『コンミュニズム』の社会でなければならぬとするもの」*²としていますが、そうした考え方は、自由主義や民主主義に対する恐怖から生じるのでしょう。自由な精神を恐れるのです、他者のそれは勿論のこと、自分のものであっても。
民主主義、自由主義、人間精神の解放を称えただけで、国体(天皇制)を脅かし、侵略戦争を邪魔立てする者あるいは組織と見なし、弾圧を加えたのです。7万5千人超を検挙、500人以上が拷問等で死亡しました。しかしこの数字に、植民地独立運動のあった朝鮮、台湾、そして満州での被害者数は入っていません。抵抗を試みた人々も大勢いました。その一人である生物学者、労働農民党代議士でもあった山本宣治YAMAMOTO Senjiについて、多くが語り継がれています。山本薩夫YAMAMOTO Satsuo 監督『武器なき斗い』(1960年)で描かれていた様に、山本宣治は特高警察の残虐を告発し、治安維持法の廃止を訴えました。治安維持法の存続と強化について、帝国議会で反対質疑を行う予定でしたが、投宿先で刺客により暗殺されました(1929年3月5日)。単独犯ではなく、背後に高官たちの謀略がありました。本庄豊『テロルの時代』(群青社、2009年)に詳細な記述があります。
山本宣治の意見草稿が残されており、その一部を紹介します。治安維持法について、「資本家・地主の独裁政治遂行のための政策の必然的表現」と喝破するとともに、〈国体〉観念は「粗雑なばかりでなく、これを神秘化して、被支配階級弾圧の口実たらしめようとしている」*³。そうした反対意見を本会議で読み上げるはずでした。本質を突いているからこそ、ファシストたちには脅威だったのです。
そうした不条理かつ凶暴な時代があったのですが、うっかりしていると、似たような破壊の不条理を再度呼び込んでしまう素地がこの国にはあります。被害者に対する日本政府からの謝罪や賠償が一切行われないことからも窺えますが、未だ悪法の正当性に固執しているようです。デジタル監視社会に於いてファシズムが抬頭するのなら、ジョージ・オーウェルGeorge Orwellの著した『1984』級の深刻な災害を招くことでしょう。監視と管理下に置かれた「言論・表現・思想」のみが許され、彼らの意向から「逸脱」するのなら、取り締まりの対象となるのです。昨今、私は再来の気配を強く感じます。人は恐怖や怒りを煽られると、苦労をして組み上げてきたはずの自由の精神、自他共に尊厳を守る意義を手放してしまいます。誰それはスパイだ、非国民だと言い立てる密告集団と化し、「一億総懺悔」の日が訪れるまで、多くの人々が集団ヒステリーの犠牲となることでしょう。
政治的困難に見舞われ、或いは生活を成り立たせようと日本に辿り着いた外国の人々よりも、比較にならない程手に負えないのは、不寛容、短絡志向の小人物の群れです。貧富の格差は、戦争経済へと向かわせる常套手段です。搾取としての派遣制度を廃止し、全ての雇用者にまともな賃金を支払うならば、極端な格差は解消され、少なくとも中流の生活が戻ってきます。ところが小人物の群れは、大企業の傲慢強欲や政府の無策を問うべきところを、鬱憤を晴らすべく、その矛先を立場の弱い人々に向け始めます。差別と排除が最たるものです。これほどに外国人コンプレックス・恐怖症を内に宿していたとは意外でした。恐ろしく傲慢不遜で、ナショナリズムに凝り固まった精神状態ではありませんか。どこかの国の脅威を過大喧伝するなら、平和憲法を蔑ろにする曲解に飛び付き、愚かにも軍事力強化を小躍りして受け入れてしまう。まともな食卓さえ遠ざかってしまった子どもたちが増えている現状を顧みず、軍事に国庫を注ぎ込もうというのです。軍事国家など目指さずに、福祉国家を模索すべきなのです。しかしファシズムへの気運は醸成されつつあります。戦争や紛争が起きるなら、軍需産業、戦争請負会社、復興請負会社、そして「政治家」らが大儲けするだけのことです。正義や大義、神聖さなど微塵もありません。
〈参考・引用〉
荻野富士夫『検証 治安維持法 なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』平凡社新書、2024年。
*¹ p.211
*² p.212
*³ p.48
石橋宗明
