川西 祐三郎 1988年4月7日 / KAWANISHI Yuzaburo

版画家の川西祐三郎と話す機会が一度だけありました。彼は川西英の三男ですが、お父さんの作品と比べられるのを、とても嫌がっていました。祐三郎さんが個展を開けば、来廊者は決まって、まずはお父さんのことを話し始めるのだそうです。

午前10時に、神戸市御影のご自宅に伺いました。訪問の目的は、川西英の作品に関することでした。応接間に通された私は、その小さな木版画を額縁から取り出し、祐三郎さんに手渡しました。彼は長く美しい指をしていました。台紙に貼られた作品を眺めながら、これは川西英の初期の作品だと呟きます。大正時代に刷られたもので、まだ作家としての自覚が無いことから、サインを入れず判も押していない、手刷りかどうかは分からない。ややあって祐三郎さんは、台紙の端に、毛筆で鑑定書きをしてくださいました。幸い、懐かしそうに作品を楽しんでおられました。穏やかな声音の、優しい眼をした紳士です。

私は紅茶を頂きながら、「深田池の水がなくなって、ヘドロの沼のようになっていますね」と不思議に思って尋ねました。深田池とは、川西邸のすぐ前に拡がる大きな溜池のことです。南北朝時代からある池だそうですが、今は整備され、周囲は公園となっています。私は度々、深い緑色をした水面を目にしていました。
祐三郎さんの表情が少し陰っています。「水鳥を捕まえ、金網を張った箱に入れ、魚は網ですくって大きな水槽に入れ、それから池の水を抜いたのです。コンクリートを使って補強する為に。これまでになく大量の水を流し込むので、手を加えなくてはならない、というのです」
「水鳥や魚にしてみれば、いい迷惑ですね」
「私にしても、そうなのです」眼差しに不安が滲みます。「もしかすると不発弾があるかも知れないと、作業員が話してくれました。彼らは大丈夫だと言います。金属探知機で念入りに調べながら、池の底を抉ってゆくからと。……粘土質なのです。池の底といえども、爆弾が生き延びるには条件が良いはずです。もしシャベルでガツンとやれば、この辺りは吹き飛びます」
「そんなに威力があるのですか?」
細面の顔立ちが、いよいよ強張ります。「かなりの破壊力です。焼夷弾ならまだ何とかなります。神戸大空襲の時がそうでしたが、落ちた所に急いで駆け付けて、服で叩き消すこともできました。でも、爆弾はそうはいきません」

(訪問時に聞き及んだ内容は、その日の内に記録しておきました。切れ端となったページが37年後の今日、ふいに現れたので、手を加えた上掲載しました)

石橋 宗明

深田池公園
水路に泳ぐ錦鯉。長年、地域の人々によって大切にされ続けています。