私は「ウィークエンド」を知らなかった。

 

 

 

 

 

ヨーゼフ・ボイス
〈私はウィークエンドなんて知らない〉
53×66×11㎝.1971-72
栃木県立美術館所蔵

栃木県立美術館の許可を得て『ボイス+パレルモ』のカタログ(P.127)から転載しました。

〈私はウィークエンドなんて知らない〉もまた、『ボイス+パレルモ』に於いて初めて見ることができた。アタッシュケースの蓋に、レクラム社の檸檬色の文庫本と、マギー・スパイス瓶が相性良く並ぶ。その『純粋理性批判』の表紙には朱色のスタンプが押され、BEUYS: ich kennen kein Weekend とある。
後で知ったのだが、6 人の作家による18 点の版画作品が収められているのだった。ポートフォリオには、次のように記されている。
WEEKEND
Beuys, Brehmer, Hödicke, Hutchinson, Köpke, Polke, Vostell
Edition René Block Berlin 1971/1972
(ヨーゼフ・ボイス、クラウス・ペーター・ブレーマー、ホルスト・へディッケ、ピーター・ハッチンソン、アーサー・コプケ、ジグマー・ポルケ、ヴォルフ・フォステル。レネ・ブロック・ベルリン版)
ポートフォリオは、アタッシュケース内の仕切り板を引き上げると現れる。黒い板を閉じたままなら、大部の本と瓶の他には何も入っていないように見える。

〈WEEKEND〉の美術家たちは、フルクサスや『資本主義リアリズム』展での参加作家として知られている。18 点の版画作品を見る機会がまだ無いので、それらの印象を述べることはできない。今回は、ボイスのレディメイドに注意を傾けてみたい。
A: マギー社のソース『マギー・ヴュルツェ(Würze)』の主原料は大豆や小麦である。味の好みは別として、ヴィーガンや、同傾向の菜食生活に用い易い香辛料だ。Würze はスパイスを意味するが、Würde(尊厳)という単語と似ている。
B: イマニュエル・カントの『純粋理性批判』は、理性の特徴について考察し、次に、人間が道徳的に自由であるとはどういう状態なのか、そうした論を進める上での手掛かりを整える。それらは『実践理性批判』へと受け継がれてゆくのだが、そこで重要となるのは、相手の尊厳を守るということだ。

親和性で以って配置されたそれらレディメイドにより、動物愛護、反動物虐待の理念が浮かび上がってくる。但し、カントが述べたのは主に人間の尊厳についてだった。そこを起点としてボイスは、動物は勿論のこと、自然環境へと対象を広げていった。人間中心の考え方では、強欲の破壊は止まるところを知らない(ベトナムでは殺戮が繰り返されていた)。搾取・略奪者にとって、他者と動物、すべての自然は、欲望を充足させるための道具として存在するか、一転して無用の長物と化すものでしかない。尊厳などまったく眼中にないのだ。しかし、共生の構造*1 が経済活動の基盤となれば、彼らは「向心力」を失う*2。破壊は著しく減退し、前史の野蛮行為として蔑まれることだろう。

*1 モデルケースとして、南極条約を考えている。機会を見付け述べてみたい。

*2 破壊的な人格(ネクロフィラス)が優勢となった者に力を与えるのは、その者に魅了され同調する人々である。取るに足らないグループ
 へと抑え込むには、あなた自身と他者を物として利用させないことが肝要である。


石橋宗明