タニア・プルースニック 個展 - mind settings –
2025年5月29日(木)~6月8日(日) ※休廊日:6月2日(月)、3日(火)
追加日
6月23日(月)~29日(日) ※休廊日:26日(木)
開廊時間 1:00p.m. →6:00p.m.
タニア・プルースニック/ Tanja Prušnik
オーストリアの現代美術家、建築家、キュレーター。
オーストリア南端の州ケルンテン(カリンシア)に生まれる。
ウィーン工科大学で建築を学ぶ。
ウィーン、ケルンテン、スロヴァニア在住。
2019年よりオーストリア視覚芸術家協会(Künstlerhaus Wien)会長。
2025年6月24日
Österreichisches Ehrenkreuz für Wissenschaft und Kunst an Tanja Prušnik
オーストリア科学芸術名誉十字章が授与される。



Austrian architect, artist and curator, working freelance national in Vienna (A), Carinthia (A), Slovenia and international since 1999. Active in numerous artistic associations in A and SLO. Since June 2019 president of the Association of Fine Art Artists Künstlerhaus of Austria.
Her conceptual artistic work includes search for answers to a number of socio-critical and political questions. She works experimentally and trans-territorially, using unusual materials such as are ink on latex, acrylic on acrylic foil, etc.
Artworks are included in the collections of important institutions such as the Austrian Parliament, SAAB Wien, the State of Carinthia etc. Among several publications are the art catalogue “arbeiten.dela.works” and the contributions to the artists’ encyclopaedia “Painting in Austria at the beginning of the 3rd millennium”, Mauthausen Annual, etc. She is also responsible for several book covers.
Tanja Prušnik received the Artistic Award for Women of Carinthia in 2004 (Pro Cultur und kontra Gewalt), in 2005 a studio grant from the City of Vienna. In 2016 she was awarded an artist grant from the City of Klagenfurt with a residency in Šmartno in Goriška Brda/Slovenia. 2019, she received the Human Rights Award of Carinthia/A for the art project “DEN BLICK ÖFFNEN” with a charitable background and in 2022 the Grand Honorary Award of the Land of Carinthia/A for the outstanding connective artistic work between the two ethnic groups.
Participated in more than 200 exhibitions, both solo and group and curated several international small and larger exhibitions such as Longing for Future for Gangwon Art Triennale in South Korea 2024, or 2023 in the framework of the Architecture Biennale in Venice, 2021-2024 MillstART, an annual thematic exhibitions. She co-founded and co-curated more than 20 exhibitions with “DEN BLICK ÖFFNEN” and at last, 2024 and 2025 co-curated Femininology in Zagreb/HR and Vienna/A.
Solo exhibitions include works presented in Japan, South Korea, Austria, Slovenia, Czech Republic, Germany, Croatia and Italy, demonstrating her wide international influence and visibility. Simposia and residences held in A, HR, SLO, I, JPN.









©マッシブ 増田大輔
タニア・プルースニック個展 / 展覧会後記(Ⅰ)
聖職者のお話しを伺うことができました。芦屋キリスト教会の田淵結牧師です。「私なりの解釈ですから、正解なんてものではありませんよ」と前置きをされ、感想を述べられました。若干の編集を加え、以下ご紹介します。
水・ワイン・血、この三つの要素が、作品の構想としてある。そうしたことをタニアさんが話されるのを聞いていました。そのこともあり、他に思い付くものなどなかったのです。画廊の階段を上がってゆくと不意に、カンヴァスに赤い絵具が拡がっている光景*に出会いました。イエス・キリストが自らの血を流すことで私たちを救ったことを、ふと思い浮かべる瞬間に驚くほど似ていました。
*From the series≫e.s.c.o.l.≪(essence of life): Installation≫red≪,red ink dripped on canvas, inkbottle, 60×70cm.

(この作品は当初、点滴バッグを用いる予定だった。しかしオーストリアの薬局では簡単に入手できるものが、日本では、取り寄せに数日掛かることが来日後に分かった。急遽、ガラスの小瓶で代用したのだが、それはそれでオブジェとしての面白さがあった。会期を通じ、赤いインクがカンヴァスに滴り落ちる様子を見せることは叶わなかったので、次の機会に再度試みたいとタニアは言っている)。
「ヨハネによる福音書」に〈カナでの婚礼〉というエピソードが記されています。結婚式に招かれていたキリストは、用意してあったワインが底を突いてしまったのを知り、その場にあった甕に水を満たすように言います。係の人がその通りにすると、甕の水はワインに変わりました。これは、イエス・キリストが行った数々の奇跡の、最初のものです。
水をワインに変え、皆と喜びを分かち合う。弟子たちとの晩餐に於いて、ワインを自らの血と見立てることで、諭したことを思い出してくれるよう願う。そして最後に、磔刑に赴くことで人々の罪を贖う。本当に血を流すのです。イエス・キリストの人生は、水・ワイン・血という三つの要素でもって象徴できるのかもしれません。
壁面に、四つの立方体が組配された作品があり、これも面白いと思いました。二つのバリエーションがありましたね。赤い絵具が滲み出ているように見えるもの(*1)、もう一つは、金か銀色かが固着、擦り付けられたような感じがしました(*2)。偶発性も味方にしたところが、作品の魅力となっているのだと思います。
1)From the series »esce.o.l.- blood«: »red 1-4«, red ink on canvas, 8 x 8 x 8 cm, 2021
2)From the series »liquids«: »gold 1-4«, acrylic on canvas, 8 x 8 x 8 cm, 2021


タニア・プルースニック作品
©マッシブ 増田大輔
赤の作品は、水・ワイン・血の脈絡ですんなりと入り込んでいました。金色(光線の加減により銀にも映る)の作品については、私なりの解釈であって、タニアさんの意図と関連するものかどうかは分かりません。私は、新約聖書にある幾つかの箇所を思い起こしました。「使徒言行録」のペトロの言葉や、「ペトロの手紙」とか。でも腑に落ちたのは、使徒パウロによる「コリントの信徒への手紙」です。
「コリントの信徒への手紙」第一部3章10-15節に、次のような含意が綴られている。私⦅パウロ⦆は賢い建築家になろうと努めている。誰もが、イエス・キリストという土台が与えられているのだから、それを活かさなくてはならない。建物が恵まれた土台に見合っているか否かは、ある日、火炎の試練によって明らかにされるだろう。金、銀、宝石、木、草、藁を資材にした建築の内、どれが火炎に耐えられるだろうか。試練に耐えた者は祝福され、燃え尽きた者は辛い思いをする。とは言え後者は、イエス・キリストという土台について学び直す機会を得たのである(編者)。
作者は、パウロのこの言葉に触れ、イマジネーションを得たのかも知れません。赤い彩色の立方体(構造体)は、イエス・キリストの象徴化を試みたものであり、金色(銀もまた)の作品は、イエス・キリストという土台に見合った建築(心の状態・その人の本質)を表現しているのではないか。私はそういったことを考えました。
以上、聞き取りを基に編集しました。文責は石橋宗明にあります。
タニア・プルースニック個展 / 展覧会後記(Ⅱ)
1)
From the series≫e.s.c.o.l.≪(essence of life): Installation≫red≪,red ink dripped on canvas, inkbottle, 60×70cm.
カンヴァスの中央に赤いインクが滴り、跳ねながら拡がる様子を見る作品です。実際に眺めていると、この国のファシズムが蘇る場面に立ち会っているかのような心地になりました。ナショナリズムの高揚、そして理性と寛容の居場所が狭まりつつあるこの国に対し、隔絶感さえ覚えます。それ故、私の眼にそのように映るのは、至極自然なことなのです。
当初、赤いインクの滴りは点滴バッグを用いる予定でしたが、日本では入手に数日を要することが分かり、ガラスの小瓶でもって代用しました。もし点滴バッグが間に合っていたなら、個展期間を通じて赤いインクが滴っていた訳ですが、そうであったなら、過去の流血、これから流されるのであろう夥しい血を、日々意識に上らせていたことでしょう。無力感に苛まれつつ、次々と運ばれてくる負傷者の治療に専念する医療従事者の姿を思い浮かべていたことでしょう。
From the series »colour blockings«:cb1;diptychon,red ink on canvas,2025cb 2; poliptychon, red ink on canvas, 2025

来日から間も無くして制作された、現時点での最新作です。私はこの作品には、凄惨な印象を持ちました。大小の丸いカンヴァスに、左下方から右斜め上に向けて、赤いインクが勢い良く跳ね上がっていますが、それがまるで、シーツに飛び散った鮮血のように見えたのです。ハリウッド映画を制作するかのように、戦争や紛争が仕組まれてゆきます。世界各地で多くの市民が、金儲けの犠牲となっています。真実は隠され、虚構が幅を利かせます。この現実を打ち砕く方法など無いのだと、ペシミズムの囁きが蓋をしてしまいます。大いに気に入りません。負傷した子どもを運んだシーツ以外に、私は何を見ることができたでしょう。
2)
タニアさんと初めてお会いした際、モティーフは「水・ワイン・血」であると教えてくれました。彼女は、あえて多くを語ろうとはせず、数多の作品画像から私が受けた印象がどの様なものなのか、関心を傾けていました。やがて「Pure Life」という言葉を二人で見付け出しました。食べ物や水を、何ら不安を抱くことなく楽しみ、実際、人体が様々な汚染を被らずにいられた頃、つまり、各々の生物が与えられた生体のまま、純粋に生きることができた時分へのノスタルジーです。ノスタルジーは「Healing」でもあり、抵抗の準備段階にもなり得ます。
「水・ワイン・血」は、イエス・キリストの生涯(生き方)を意味するものであろうという観点をもたらしたのは、レセプションにお見えになった牧師さんです。それまでの私は、「Pure Life」とか「Healing」という解釈に止まっており、展開させようとはしていませんでした。タニアさんといえば否定も肯定もせず、一緒に面白がっていたのです。もとより大らかな人ですから、そこからで構わない、程なく主題に気付くだろう、といった見越しがあったのでしょう。
キリスト教文化圏にある美術の鑑賞は、現代のものであっても、その影響を顧みる必要があります。タニアさんの作品を鑑賞する際、私に欠けていたのは、あろうことか、そのキリスト教だったのです。最初の印象は、やがて広がりと奥行を見せ始めます。修正ではなく、帰納です。破壊の不条理が優勢となり、絶え間なく私たちを脅かすのはなぜかと問うならば、イエス・キリストが殺害された理由にたどり着きます。
生命力の中で創造的に生きるイエス・キリストは嫉妬の対象となり、敵意さえ向けられるようになりました。反生命が人類にとっていかに危険で破壊的かを教えるために、彼は巨大な墓標を残したように思うのです。心の改革から精神の進化へと、私たちを鼓舞すべく試みた自己犠牲は、二千年を経ても尚、文明の礎とはなっていません。生命力の中で生きようとする創造的な人々は殺害され、迫害を受け続けています。反生命の科学技術がのさばり、真の叡智は侮蔑の対象です。破壊的なナルシスト、小人物らが強欲さを発揮し、優勢を保っているからです。もしイエス・キリストの降臨があったとしても、彼は再び殺害されることでしょう。
石橋宗明