「おーい でてこーい」

 

 

 

 

 

Photo by Digital Globe via Getty Images

次の大事故を見越しての既成事実作りなのか、そう思ってしまうほど、政府と東京電力は急いでいる。福島第一原発由来の放射性汚染水を、この春か夏にでも太平洋へ放出しようとしているのだ。溶融した核燃料を冷やした水、原子炉建屋に流れ込んでくる地下水が、日々大量に発生する。その汚染水を多核種除去装置(ALPS)で処理した後、専用のタンクで保管する。そのタンクが約1000基(132万トン余り)となったので、100倍程度に薄めてから海に捨てるという。海底トンネルを通し、1キロ先の沖に流し出す。漁業が行われていない海域なので大丈夫なのだそうだ。放出は数十年間続く予定である。福島県漁業協同組合連合会は断固反対の姿勢であり、私も強く反対する。巷間、またしても「風評被害」だ「非国民」だと騒がしくなるのだろう。しかしこの際、「非国民」扱いは誠に名誉なことである。

国際原子力機関(IAEA)や国際放射線防護委員会(ICRP)などの原発推進組織に擦り寄りながら、日本政府と東電は突っ走る。しかし、汚染水に含まれるトリチウム(三重水素)を回収する技術は開発されている。また、保管タンクを大容量に改良することもでき、並べる土地もまだまだ確保できる。石油備蓄船を用いるという方法も有効だ。慌てる必要はない。福島原発事故による放射性物質の拡散を食い止める責任が、日本国には厳としてあるのだ。それなのにどうして、立ち止まって考えようとしないのか? 人間の尊厳を顧みず、他国と自然界に対し傲慢な態度を取る、そのような国に成り果ててしまうのか。

放出水にはトリチウムが残存するが、弱い放射線しか出さず危険はない、という言説は偽りである。まず、捨てられた水にはトリチウムだけでなく、ストロンチウム90、炭素14、ヨウ素129などの放射性物質も残存している。それに、トリチウムのみでも十分に危険である。トリチウムは自然界にも存在するので「危険はない」という説明は、毒キノコは世界中に生えているので食しても心配はないと言っているようなものだ。自然環境中に存在するトリチウムの大半は、大気圏内核実験の残存物と、原発と再処理工場から排出されたものである。原発と再処理工場からは、事故が発生していなくても、通常の稼働中に放射性物質が当然のごとく捨てられている。既に自然環境は汚染されているのだが、更に大量の猛毒を流し込もうというのだ。福島県をはじめとする沿岸地域を汚染し(海水飛沫やエアロゾルとなって拡散)、黒潮と衝突後、北太平洋海流に混じり込む。やがて北米大陸(アメリカからカナダ沿岸地帯)に達する。海流は複雑に交じり合いながら蛇行し、循環している。周辺海域のみならず、多くの国々を汚すのである。

汚染水を希釈しても、食物連鎖による生物濃縮を防ぐことは出来ない。やがては海産物を通じて内部被ばくが起きる。あるいは、吸い込むことでも内部被ばくする。トリチウムは水素の放射性同位体であることから、人体内に侵入できない部位はない。DNAに結合しベータ線を出し続ける。体内残留期間は少なくとも15年以上である。崩壊したトリチウムはヘリウムに変化するのだが、その過程でDNA分子を破壊してしまう。ベータ線による内部ひばく、加えてDNAを切断するという特有の性質を持つのである。脂肪組織、生殖細胞、神経細胞や脳に損傷を与え、それにより癌の発生率が増加、認知機能の低下を招く。出産異常や流産死、ダウン症、新生児の心臓疾患や中枢神経異常の原因ともなる。そうした疾病などの増加と、汚染水放出との因果関係は証明出来ないと、日本政府と国連の原子力推進機関は否定することだろう。だが世界中の理性と感情を持つ人々が、戯言で納得するはずがない。日本は、拭うことのできない負い目を背負うのである。

〈ノートから〉
福島県沖の汚染水放出を阻止できても、わざわざ買って出て、それなら大阪湾に捨てろと言い出す人々がいるかも知れない。
2019年9月17日付の朝日新聞によると、大阪市の松井一郎市長は、「政府が科学的根拠を示して海洋放出する決断を示すべきだ」とし、大阪湾に放出する可能性について「もってきて流すなら、(協力の余地は)ある」と発言している。
これもまた観測気球なのだろうか。そうであるなら応えなくてはなるまい。もし汚染水を放出するなら、大阪湾内に長期に渡って留まり、更に瀬戸内海や明石海峡、そしてそれら地域の空気と土壌を汚染する。私は断固として反対し、抵抗する。

2013年に、大阪市の舞洲(まいしま)工場で、岩手県から運んだ震災瓦礫(木くず等の廃棄物)を焼却したところ、広域に渡る市民から様々な身体不調の訴えがあった。燃やした廃棄物の放射能濃度は、不検出か微量であったという。しかし関連の有無は調査されず、未解明のままである。
大阪市環境局施設管理課の担当者に話を聞いたところ、以下の返答だった。2013年2月から9月の終わり頃までの7か月間、焼却作業を行ったが、舞洲の施設に残った灰には異常は無かった。また、埋め立て地である北港処分所(最終処分所)での数値は上がらず、平常通りだった(2014年3月14日、電話による聞き取り)。
身体不調の訴えについては「美味しんぼ」(雁屋哲作、週刊ビッグコミックスピリッツ、2014年4月28日発売号)でも取り上げられたが、大阪府と大阪市は「極めて不適切」として発売日に早速抗議している。

福島第一原発の事故を教訓に、原発の稼働期間は原則として40年に限定し、原子力規制委員会が認めた場合に限り、最長20年の延長ができる。これは原子炉等規制法(炉規法)で定められ、原子力規制委員会が所管する。中性子を浴び続けながら老朽化した原発など何が起きるか分かったものではない。事故が起きなくても、通常運転に於いて熱排水と一緒に放射性物質を海に捨てている。直ぐにでも停止させてしまいたい代物だ。しかしこの法律が定められたことで、古い原発から順々に廃炉を迎えることになるので、過渡期の段取りとして譲歩も必要であろうと考えることにした。

ところが、60年を超えた原発でも稼働させられる新たな法案を、政府が閣議決定してしまった。炉規法を、経済産業省の所轄する電気事業法に移す(戻す)のである(経済産業省と原子力規制庁⦅原子力規制委員会の事務局⦆は事前に綿密な協議を行っていた)。稼働期間延長に整合性を持たせ、生命への尊厳よりも、政府の都合や企業の利益追求を優先させるということだ。再稼働に必要な審査や、司法判断により停止していた期間を追加することができ、例えば10年間停止させたのなら、その期間は除外対象となり、70年の稼働が認められる(上限規定を設けず、更に稼働させようとするかも知れない)。裁判所の仮処分決定による運転差し止めが、唯一、合法的に稼働中の原発を停止させる手段であるだけに、まるで嫌がらせのような印象を受ける。

2050年の「脱炭素社会」へ向けて、原発を最大限に活用すると政府はいう。廃炉が決定した原発の敷地に、次世代革新炉と呼ばれる改良型原発を建設する。将来は、原発の無い地域にも建ててしまおうという思惑もある。脱炭素政策を進める為に、新たな種類の国債を発行するのだが、次世代革新炉と呼ばれる原発のみならず、高速炉(*)の開発にも流れるのだろう。核燃料サイクルも未だ諦めておらず、稼働延期を繰り返す日本原燃の核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)の完成を目指している。そこには既に、全国の原発から3000トンの使用済み核燃料が運び込まれ、プールで冷却保管されている。プルトニウムやウランを取り出す再処理が目的の施設だが、私は処理を行わず、厳重な態勢で冷却保管を続けるべきだと考える。使用済み核燃料を裁断処理すると、高レベル放射性廃棄物が出てくる。これは数万年に及ぶ管理が必要な猛毒物だが、安全な保管方法は見つかっていない。最終処分所も定まらない。各地の原発に設けられたプールは、使用済み核燃料で満杯に近い。すべての原発を停止させ、これ以上、使用済み核燃料を増やさずのおくことが、核開発から得た叡智なのである。
(*)マイクロソフトのビル・ゲイツが会長を務めるテラパワー社は、高速炉の開発を進めている。この計画には、日本原子力開発機構や三菱重工業等が参加する。テラパワーの高速炉は冷却材に液体ナトリウムを用いるが、燃料にプルトニウムは使わず、再処理もしない。そこが、日本やフランスが失敗した高速増殖炉計画とは異なる。従って今の段階では、核燃料サイクルを後押しするものではないが、今後の動向を見てゆかなくてはならない。

表題の「おーい でてこーい」は、星新一のショートショートから拝借した(新潮文庫などに編纂されている)。

〈主な参考図書・新聞記事〉
2023年3月6日付 朝日新聞/「東日本大震災12年 処理水 海へ放出準備」
2022年4月18日付 朝日新聞/「記者解説 強まる原発回帰」
『汚染水海洋放出の争点 トリチウムの危険性』渡辺悦司・遠藤順子・山田耕作、緑風出版、2021年
2019年9月17日付 朝日新聞/「大阪湾で放出『ある』松井市長 原発汚染水巡り」
『DAYS JAPAN』Vol.15 No.11 2018 NOV「トリチウム水の行方と健康影響」
『原発再稼働と海』湯浅一郎、緑風出版、2016年
2014年5月18日付 朝日新聞/「美味しんぼ 苦い後味」
2014年5月16日付 朝日新聞/「美味しんぼ『がれき処理、大阪で健康被害』、府市異例のスピード抗議」


石橋宗明