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1)原発施設内のプールには、使用済み核燃料が溜まり続けている。一年ごとに、核燃料棒の束を交換するのだが、大量の死の灰が含まれており、熱と放射線を発している。それをプールに沈めて冷却し続けるのである。関西電力の場合、どの原発も今後5年から7年で満杯になるという。
関西電力と中国電力は共同で、山口県上関町に中間貯蔵施設を建設しようとしている。原発から出た使用済み核燃料を一時保管、とは言え50年程度では済まないと思うのだが、取り敢えず、詰め込んでしまおうという魂胆なのだ。
上関町での混乱はしばしば報道されたので、私も知っていた。中国電力の原発誘致を巡って、市民の間に亀裂が生じたのである。2009年に準備工事が始まったが、福島原発事故が起き、以来、計画は中断している。そこへ水を向け、原発建設用地の一角に、中間貯蔵施設を作ろうというのだ。福島原発事故後、上関町は風力発電事業へとシフトしており、現在、出力2000キロワット級の風力発電タービンが2基稼働中である。それにも関わらず、関西電力と中国電力が、またしても紛糾をもたらそうとしている(朝日新聞2023年8月4日〈社説〉を参照)。
フランスや青森県むつ市の人々に迷惑を掛けず、交付金のばら撒きも止めて、なぜ関西電力大阪本店の敷地に貯蔵しないのか。放射能汚染土をふんだんに用いて、水深の深い専用プールを作り、そこに使用済み核燃料棒を沈めるとよい。セキュリティーは万全であろうから、警備犬はもう必要ない。直ぐそばに二つの美術館があることも考慮し、ブルーを基調にした洒落たライトアップを眺められるようにする。だが、使用済み核燃料棒を次々と運び込んでいる内に溢れ返ってしまうだろうから、早々に、原子炉を停止させることも勧める。
2)使用済み核燃料棒を再処理すると、つまり切断した上で溶解処理を行い、ウランとプルトニウムを取り出すのだが、工程後、大量の高レベル放射性廃棄物が残る。この猛毒物を安全に保管する方法や、最終処分地はまだ見付かっていない。少なくとも10万年の間、生命圏に被害を及ぼさないように保管しなくてはならないのである。今から1万年前は縄文時代の早期にあたり、10万年前はホモ・サピエンスがアフリカ大陸から移動を始めたであろう頃である。人間の技術が責任を持てるスパンを遥かに超えている。AIに問わずとも、再処理を行わず、使用済み核燃料棒のまま、水中で冷却保存し続けるのが無難であることは明白である。勿論、これ以上核ゴミを増やさないことが必須である。では、既に再処理の過程で出てしまった高レベル放射性廃棄物をどうすればよいのか。
結局は何もかも、フレンドリーAIに任せてしまうことになるのだろう。しかし、人間の1000倍のIQに達したそれが、核ゴミの管理に嫌気が差さないはずがなく、先行きが不安である。
3)「処理水」と称する放射能汚染水を海へ捨てようと急いでいるが、このこともまた、漁師や消費者、周辺諸国と軋轢を引き起こしている。汚染水に含まれるトリチウム(三重水素)を回収する技術は既に開発されている。また、保管タンクを大容量に改良することもでき、並べる土地もまだまだ確保が可能である。石油備蓄船を用いるという方法も有効だ。慌てる必要はない。そもそも、福島原発事故による放射性物質の拡散を食い止める責任が、日本国には厳としてあるのだ。安上がりだからと海洋放出に走っては倫理に反する。
東京電力が行っているヒラメの飼育試験について、幾つかの新聞で読んだ。海洋放出時の基準濃度(1リットル当たり1500ベクレル)に保った水槽でヒラメを飼ってみる訳だが、エサとして何を与えているのかが分からない。「常磐もの」と呼ばれる特産品のヒラメもまた魚食性であり、イカナゴやカタクチイワシなどを追い掛ける。そしてそれら小魚はプランクトンを食べる。食物連鎖は自然界のどこであれ存在し、その過程で栄養価が高まってゆく。そこへ放射性物質が入り込むなら、これもまた濃縮されてゆく。東京電力の飼育試験には、食物連鎖と放射性物質濃縮という項目が抜け落ちているのではないか。トリチウムはヒラメの体液に蓄積されない、と結論付けられても、疑念が昂じるばかりである。
汚染水を希釈しても、やがては食物連鎖による生物濃縮が始まる。つまり、海産物を通じての内部被ばくは起こり得る。また、海岸へ押し戻されたり、どこか遠方に流れ着いたりした放射性物質は、海水飛沫やエアロゾルとなって拡散し、沿岸地域を汚染する。それを吸い込むことで内部被ばくが起きる。
自然界に存在するトリチウムは、圧倒的に人工の放射性物質である。大気圏内核実験の残存物、原発と核燃料再処理施設から海や河川、大気中に放出されたものがほとんどであある。従って、もともと自然界に存在するものだから心配は無用といった言説は誤っている。トリチウムを、更に数十年間も海へ流し込もうというのだから、生態系の汚染は間違いなく深刻さを増す。
トリチウムは水素の放射性同位体であることから、人体のあらゆる部位に侵入する。そしてDNAに結合し、ベータ線を出し続ける。体内残留期間は少なくとも15年以上である。崩壊したトリチウムはヘリウムに変化するのだが、その過程でDNA分子を破壊してしまう。ベータ線による内部ひばく、加えてDNAを切断するという特有の性質を持つのである。脂肪組織、生殖細胞、神経細胞や脳に損傷を与え、癌の発生率が増加、認知機能の低下を招く。出産異常や流産死、ダウン症、新生児の心臓疾患や中枢神経異常の原因ともなる。
4)それでも尚、健康被害の心配は無いとする「専門家」は、科学者ではない。人間は無分別に、ゴミを海に捨てたがる習性がある。その習性として物を言っているに過ぎない。しかし彼らが、以下の系譜に連なる「専門家」であるのなら、ただの習性で済ますことはできない。
効果を見込めない「除染」を盛んに主張し、安全な生活が戻るかのように仕向ける。年間20ミリシーベルトもの汚染環境であることを知りながら、子どもたちに生活を続けさせる。「地産地消」とがなり立て、子どもたちに、内部被ばくが気掛かりな食物を与え続ける。経済支援の打ち切りにより、多くの自主避難者が避難先での生活が困難となり、強制送還のごとく帰還を余儀なくさせられている。
苦しむ人々に手を差し伸べず、子どもを守ろうとしない。真実よりも保身、他者の生命や健康よりも、報酬金額と社会的地位・名声が重んじられる。しかしそれは人間の本質ではない。いかなる性格を有する者と、いかなる取り巻き(後に個別に述べる)が優勢であるのかを考えなくてはならない。それが、無情な行為を可能にさせる要因となる。
傲慢と強欲、そして生命蔑視、そうした傾向を持つ自己愛肥大と、それに伴う倫理観の不育が先に立ち、守るべき人々に犠牲を強いているのではないか。彼ら(仮に自己愛障害者とする)の精神は硬直している。死の領域に属し、生の感覚に乏しい。感情の発露は見せかけに過ぎない。称賛や尊崇を向けられるのを最も好むが、自分と結び付かない限り、他者の功績には無関心であったり冷淡であったりする。批難や不服従に過剰反応する。本当の性格とは裏腹な印象を醸し出すことに長けており、魅力的な人物として映る。権力や権威を纏っているのなら、「強さ」を具現している人物と思い込ませることも可能だ。とりわけ危険なのは、自己愛障害者が死の領域に留まり続け、生命と生命力への嫉妬を募らせ、機会に乗じ、破壊の欲求を満たそうとすることである。
「弱さ」を蔑む人々は、「強さ」にしがみ付こうとする。「強い」人間の振る舞いを真似るようにもなる。彼らの精神もまた硬直化しているが、自己愛障害とは異なる。優しさや利他的な行いに不快感を抱くのだが、これは生育過程で、弱肉強食を根拠にした競争志向を植え付けられた結果である。本来の自己とは異質な生き方なので、「弱い」自分を抑圧し、施しを受ける人、施しを行う人を「弱い」と蔑む。それは一般的に見受けられる現象である。
称賛と尊崇を得ることを無上の喜びとする自己愛障害者は、勘違いに気付かない人々を巧みに利用する。時として人々は、破壊の不条理の側に立ち、手助けをしてしまうのである。
そうした嫌いのある社会的環境に於いて育てられた次世代の子どもたちもまた、同様の精神文化を受け継いでゆく。しかし何やら吐き気を催す心的構造に感付いた子どもや若者たちは、逃走を試みる。彼らアウトサイダーの歩む道は険しいものになり得る。だがその代わり、真の人間として生きることができるのである。
「弱さ」とは流動する自由な精神である。生命力の中で生きており、創造的行為と生育を好む。悪性の破壊をそれと見抜き忌避する。速さや効率よりも、気ままな回り道を楽しみ、思い掛けない発見を面白がる(学校教育に於いて欠落していることだ)。性行為を支配としての方法とか、怒りの発露の機会ではなく、愛情や友情の交換と捉える。反生命の攻撃に対し、果敢に抵抗する。闘争に発展しても、先ずは、相手をいかにして生かすべきかを考える。そして当然のことながら、同情や思いやり、寛容と赦しを「弱さ」などとは思わない。前頭葉を発達させた結果備わった、真の人間らしさの顕れである。それを発動させずにいるのであれば、精神の進化は望めない。社会や国家の趨勢が反生命であるならば、私たちは破壊的な幼年期に留まらざるを得ないのである。
メルトダウンに至る原発事故は、絶対に起こしてはならないものだった。核災害の余波は長期に渡り、人間の心身を蝕み続ける。私たちは生きてゆかねばならないので、忘却(抑圧)の機制が働くのだが、これが更に事態を悪化させる。侵略戦争の記憶と同じく、「フクシマ」事象に関してもまた、忘却へと追いやったり、誤魔化しを横行させてはならない。それを許すのなら危険を増幅させ、再び惨禍を呼び寄せてしまう。子どもたちと、更にその後の人々にまともな生存環境を還す義務が私たちにはある。その為にも忘却を回避し、誤魔化しを質してゆきたい。
(続く)
〈ノートから〉
福井県の若狭湾沿岸部は「原発銀座」と呼ばれ、僅か50キロメートルの海岸線に沿って、関西電力美浜、大飯、高浜原発、日本原子力発電の敦賀原発が建っている。
関西電力は、福島原発事故後、停止状態にあった原発の再稼働を進めてきた。大飯原発3号機と4号機、プルトニウムとウランの混合酸化物燃料(MOX燃料)を用いる高浜3号機と4号機を次々に始動させた。
更に2023年7月28日、高浜原発1号機が再稼働した。これは国内に現存するものでは、最も古い原子力発電所である(1974年運転開始)。
福島原発事故後、法律により、原発の耐用年数を40年と定めた。しかし原子力規制委員会の許可が下りれば、1回に限って20年間運転を延長できる。つまり60年超の運転が可能となるザル法だったのである。再稼働に必要な審査期間、司法判断により停止していた期間は除外対象となる。裁判所の仮処分決定による運転差し止めが、唯一、合法的に原発を停止させる手段であるだけに、まるで嫌がらせのような印象を受ける。
そういう訳で、築50年というスクラップ同然の「最老朽原発」にも出番が回ってきたのだ。12年振りの起動である。因みに、同じく関西電力の美浜原発3号機が、先行して再稼働している。これもまた運転開始から40年以上が経過している(1976年運転開始)。今年9月には、高浜原発2号機(47年8カ月の運転経過済)が稼働予定である。原子炉が「現役」である内は、固定資産と見なされる。それ故、スクラップ同然であっても動かそうとする。しかし地震活動期に入っている日本列島に於いて、そうした所業は狂気の沙汰である。
経済産業省は、原発の再稼働に同意した立地自治体には、交付金額を倍増するという。従来の二倍は10億円である。更に、立地市町村に隣接する県にも、最大5億円を交付する。これは2022年4月以降に再稼働したものから適応される(朝日新聞2022年11月11日付朝刊・社会面を参照)。そのようにして、金に物を言わせる訳である。
山口県上関町ででも、国から提示された交付金額は魅力的な輝きを放っている。資源エネルギー庁の資料を基に、中間貯蔵施設を受け入れた場合の交付金額を上関町が試算した。使用済み核燃料1千トンを50年間預かるのなら、360億円に達し(核燃料サイクル施設交付金)、加えて固定資産税として70億円が支払われることになる(朝日新聞2023年8月9日付朝刊、文化・総合)。
経済産業省は、原発の新設や建て替えを支援する為に、またしても電気代への上乗せを検討している。原発の安全対策費が巨額で、大手電力会社の経営を圧迫しかねないからだという。馬鹿々々しい。しかも、新電力を利用する消費者までもがその対象に入っている。原子力からの離脱を願う市民も少なくはないはずだ。愚弄も甚だしい。
石橋宗明