
Marcel Bozzufi, Yves Montand And Irene Papas At The Cannes Film Festival In 1969
FRANCE – MAY 21: Presentation Of The Film Z By Costa-Gavras On May 21St 1969. (Photo by Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images)
『Z』は生涯のベスト3に入る作品となるはずです。ギリシャのファシズムを描くもので、活きの良いストーリー展開と映像で魅了する、映画らしい映画です。同じコスタ・ガヴラス監督による『戒厳令』(État de siège、1972年)もまた、とても優れた作品ですが、私の魂に響き渡り、藝術に於ける原体験の一つとなった『Z』を筆頭に据えたいのです。
日本での初上映は、70年万博(EXPO’70)に於いてでした。〈日本国際映画祭〉のオープニング作品に選ばれ、大阪フェスティバルホールで上映されました(4月1日)。大いに評判を取ったと聞きます。しかしギリシャでは上映が禁止されました。
1969年のフランス映画ですが、ロケーション撮影はアルジェリアです。イヴ・モンタンYves Montand、イレーネ・パパスIrene Papas、ジャン=ルイ・トランティニャンJean-Louis Trintignant、ベルナール・フレッソンBernard Fresson、マルセル・ボズフィMarcel Bozzuffi、他にも稀代の俳優が出演しています。彼らはノーギャラを承知で契約を結びました。当初から資金難でしたので、新聞記者役の俳優ジャック・ぺランJacques Perrinが調達に奔走しました。
監督のコンスタンタン・コスタ=ガヴラス Constantin Costa-Gavrasは10代後半までギリシャに住み(父はロシア人、母はギリシャ人)その後、ソルボンヌ大学で学びますが、映画に関心が向かいます。映画監督として成功し始めた頃の1967年4月、故国で軍事クーデターが起きます。戒厳令が敷かれ、最初の4月だけでも犠牲者は8,000人を超えました。アムネスティ・インターナショナルは現地調査を行い、「警察と軍によって拷問が組織的に行われている」と報告しています*。
*ウィリアム・ブルムWilliam Blum著『アメリカ侵略全史:第2次大戦後の米軍・CIAによる軍事介入・政治工作・テロ・暗殺』Killing Hope: U.S. Military and CIA Interventions Since World War II(益岡賢・大矢健・いけだよしこ共訳、作品社、2018年)pp.373-374。
原作*はバシリス・バシリコスVassilis Vassilikos、脚本をホルヘ・センプルンJorge Semprún手掛けています。ガヴラス監督の夫人、ミシェル・レイMichèle Ray-Gavrasがジャーナリストであることから、彼女の調査活動もまた、考察に耐えうる内容に寄与したと考えます。
*バシリス・バシリコスの小説『Z』は1966年の出版ですので、1967年4月に起きたクーデターの記述はありません。
1963年5月22日に起きた〈ラムブラキス事件〉を題材にしています。アテネ大学医学部教授で陸上選手、そして国会議員でもあるグレゴリオス・ラムブラキスGrigoris Lambrakisは、その夜の集会で、米軍基地の撤去を主張、ポラリス*配備に反対する講演を行います。しかしその直後、「交通事故」に巻き込まれます。現場となった広場には、警官が隊列を成し、警視総監と憲兵隊司令官が指揮を執っていました。そこへ「カミカゼ」運転の軽三輪トラックが闖入し、ラムブラキス議員を目がけて突進したのです。彼は意識不明の状態のまま、三日後に死亡します。51歳でした。30万人の市民が葬儀に参列しました。
*潜水艦発射型弾道核ミサイル
映画では、地中海の某国を舞台として物語が進みます。ラムブラキス議員(Z氏)の死は事故ではなく、官憲と暴力組織による謀殺であったことを暴いてゆきます。更に、彼らを操る北米政府が見え隠れします。
〈王党派行動隊〉と称する暴力装置が登場します。成員の多くは粗暴であり、それ故に官憲に勧誘されたのです。毎週のように居酒屋で集会が開かれ、平和運動をする人々は共産主義者であり、古代ギリシャ=キリスト教徒文明の破壊が目的なのだと吹き込まれます。人生に意義や希望を見出せない人は、心の空虚さを、自分はギリシャの美しい伝統を左翼の破壊から守っているのだと、そうした自負心で満たします。粗暴な本質に指向性が与えられるに過ぎません。
彼らが、労働を搾取されているという背景もまた考慮しなくてはなりません。無知に保たれ、苦しい生活から脱する術もなく、反発すれば許認可の際に嫌がらせを受けます。予審判事の取り調べを受ける暴漢の一人が、「金持ちは風邪を引いたぐらいで一週間は寝込むが、俺たちには命取りだ」と言い放ちますが、彼らの置かれた生活の厳しさを簡潔に表現しています。
今回『Z』に言及するのには理由があります。
兵庫県政を舞台に、公益通報者がSNSによる誹謗中傷に晒されるという事件が起こりました。そうした暴力は、民主主義的な状態を維持する為に欠かせない、重要な要の一つ(公益通報制度)を毀損させます。更に、事件を調査する兵庫県特別委員会の委員もまたSNSによる攻撃を受けたのです。SNSによる誹謗中傷は、野火が走るように拡がります。善くありたいと行動する人々を陥れ、時として死に追いやってしまいます。そうした凶変が、映画に登場する暴徒たちの所業と重なったのです。
大資本と富裕層が優遇されることで、貧富の格差が拡がります。腐敗した政権与党を糺すのが筋ですが、見当違いな方向へ矛先が向けられることがあります。レイシズム(racism)へと誘導される現象がその最たるものです。わが民族は優秀かつ勤勉である、それにも関わらず生活が苦しく、将来の見通しさえ立たないのは、隣人である外国人に有利なシステムが存在するからだ、といった疑いを抱かせます。やがて自己憐憫と怒りが集団的ナルシシズムを形成し、排外主義が闊歩し始めます。集団的ナルシシズムは、平然と差別が行われる醜い社会を生み出し、軍備の拡張にも利用されるのです。軍備拡張に反対し、平和憲法の下で民主主義を構築するといった言説でさえ、左翼的、反日本人などと批判する短絡的な反応も予想できます。軍国主義が、インスタントに立ち上げ可能な時代に入ったのではないかと危惧します。個々人が善く生きようと欲し、集団的ナルシシズムの熱狂を解消させなくては、いよいよ方向転換が困難となるでしょう。結果的に、大資本と富裕層はより膨大な利益を得て、富の集中が加速するのは自明のことです。
石橋宗明