Yojimbo
Yojimbo, poster, Tatsuya Nakadai, Toshiro Mifune, 1961. (Photo by LMPC via Getty Images)
「ポイズンヴィルは熟している、収穫の時期だよ」
「あんたがくたばらない間は」とギャンブラーは言った。
「まったくだ」私は頷いた。「今朝の新聞を読んでたら、ベッドでチョコ・エクレア喰ってて窒息死した奴がいたとさ」
(ダシール・ハメット『赤い収穫』)
米環境保護局(EPA)は、飲み水についての規制案を発表した。PFOS、PFOAそれぞれを、1リットルあたり4ナノグラムとしている(ngは10億分の1グラム)。従来の勧告値はPFOSとPFOAの合計で1リットルあたり70ナノグラムだった。加えて4種類のPFAS(有機フッ素化合物の総称)についても規制を設ける必要があると述べている。パブリックコメントを経て、年内にも規制値を正式に決定する。規制値を超えた場合、責任主体は市民に報告し、汚染の低減策を講じなくてはならない。因みに、日本の暫定値はPFOSとPFOA合計で1リットルあたり50ナノグラムである(朝日新聞2023年3月15日と16日付を参照)。これは緩すぎる。
沖縄テレビ放送の報道(3月15日)によると、昨年6月、米環境保護局(EPA)は、PFOA・PFOSともに勧告値をほぼ0にしていたという。いよいよ法的拘束力を持つ規制値案を提示することとなり、各4ナノグラムと定めたのだろう。直ちに規制値を0にはしないが、4ナノグラムにまでは低減させよということだ。米環境保護局は、「この規制が完全に実施されれば、数千人の死亡を防ぎ、数万人のPFASに起因する深刻な病気を減らせるだろう」と言っている。一方、日本の関係省庁は、世界保健機関(WHO)〔*補〕が示す数値100ナノグラムを持ち出しながら議論を進めているとして、環境調査団体の代表者は危惧を抱いている。WHOの指針を引き合いに、政府が暫定数値50ナノグラムは十分に妥当であると言い出しかねないからである。あるいは、50ナノグラムを規制値にしてしまうかもしれない。福島原発事故後、放射線量が年間20ミリシーベルトの環境下でも人は住めるという「新説」で以って私たちを愚弄し続けていることを忘れてはならない。
2021年度、31都道府県の自治体が河川や地下水など1133地点でPFASの調査を行った。以前に述べた、環境省の〈令和3年度公共用水域及び地下水のPFOS及びPFOA調査結果一覧〉のことである。その結果、国の暫定値(1リットルあたり50ナノグラム)を上回った地点が81ヵ所あった。その汚染源について環境省が各自治体に問い合わせたところ、79地点が特定できなかったという(朝日新聞2023年3月30日付)。それらの地点には、兵庫県神戸市の明石川上流2か所(3.2と5.4倍)、大阪府枚方市の3つの河川(2.6、3、2.8倍)、大阪府吹田市の河川(2.8倍)、大阪府茨木市の地下水(6.8倍)、そして東京都の地下水には9.2や12.8倍のところもある。先ずは高濃度汚染の原因を突き止め、対策を講じなくてはならない。各自治体は、引き続き汚染源の特定作業を行うべきである。まさか、政府が、PFASの合計規制値を100ナノグラムにしてしまうのを待っている訳ではあるまい。因みに、今回の調査結果には沖縄県と大阪府摂津市が含まれていない。沖縄県に関しては、PFAS汚染が米軍基地由来であることは決定的で、市民と自治体による調査と検査が進んでいる。
摂津市はダイキン工業淀川製作所を抱えており、環境省の担当者によると、PFOAの調査については、大阪府の独自調査の進捗状況を窺っているという。大阪府による直近の報告は〈有機フッ素化合物(PFOA等)に係る水質検査結果(令和4年8月)について〉で見ることができる。分析機関は「地方独立行政法人大阪府立環境農林水産総合研究所」である。この機関は、2007年からPFOAとPFOSの検査を続けている。2007年12月26日公表の検査結果〈神崎川水域におけるパーフルオロオクタン酸(PFOA)に係る水質調査結果等について〉によると、「新京阪橋で比較的高濃度(600ng/L)のPFOAが検出されたが(中略)、安威川流域下水道中央水みらいセンターの放流地点(最高1.400ng/L)は、同センター上流(16ng/L)と比べて著しく高濃度であったことから、同センターの放流水が、新京阪橋において比較的高濃度のPFOAが検出された原因と考えられる」と考察し、「同センターでは、ふっ素樹脂メーカーのふっ素樹脂製造工程から排出されるPFOAを含む排水を受け入れているが、通常の下水処理である活性汚泥法では、PFOAはほとんど除去されないものと考えられる」としている。更にその報告書に「地下水については、150.000ng/Lと今回の調査で最も高濃度のPFOAが検出された井戸は、ふっ素樹脂メーカーの工場内にある地下水観測井戸であり、同工場に係るPFOAが地下浸透した可能性が考えられる」。最大級のPFOA汚染源を特定したのも同然である。
ダイキン工業のホームページ〈PFASに関する当社の取り組み〉によると、「当社では、PFOAは既に使用を中止しており、PFOSとPFHxSは過去から現代に至るまで一切使用しておりません」とある。しかしながら、代替物質であるPFHxA(未規制)の使用が始まり、安威川広域下水処理場*付近での河川水濃度が上昇している、という調査報告がある(『永遠の化学物質 水のPFAS汚染』p.41、ジョン・ミッチェル/小泉昭夫/島袋夏子、阿部小椋訳、岩波ブックレット、2020年)。下水処理後であっても、河川への放流水にPFHxA、または他のPFASが高い濃度で含まれている可能性を考えなくてはならない。
*安威川流域下水道中央水みらいセンター、と同じ施設。
ドイツの提案によりPFHxAは、REACH規則における制限物質に指定される公算が高い。REACH規則とは、欧州化学品庁が化学物質と製品について、評価と認可、制限を行う法律である。制限物質に指定されれば、すべてのEU加盟国に於いて、取り扱い方法が適用、順守される。放射性物質や農薬もそうだが、日本に住む人々は、欧州人と比べPFASに耐性を持っている、などという馬鹿げたことは無い。差異があるとすれば、人としてのプライドの有無である。
2005年、ダイキン工業内部から告発があった。それによると、1960年後半から2000年頃まで、ダイキン工業淀川製作所は、排水を近くの用水路に放出していたのである。未処理の高濃度汚染水を、である。付近の市民は、この「味生(あじふ)水路」から水を引きコメなどの農産物を育てていた。「味生水路」は神崎川へと流れ、その神崎川は淀川と繋がっている。大阪府の調査によると、現在もこの用水路のPFOA値が非常に高い(2.200ナノグラム/1リットル。2022年8月23日調査結果)。15年以上も前に「味生水路」への排水放出が中止されているにも関わらず、この高数値(政府の暫定値の44倍)なのだ。現在は、汚染水を安威川流域下水道中央みらいセンターで処理した後、安威川(あいがわ)へ放流している。しかしPFASを十分に低減できているのか、私は疑問に思っている(1リットルあたり50ナノグラムの暫定基準は、余りにも高い値であり、まったく容認できない)。また、地下水は湧水として地表に戻ったり、地下の大きな流れとなり広範囲に移動したりする。それらの動きは複雑なので、全体を把握するのは難しい。つまり、PFASが何処に滲み出てくるのか分からないということだ。ここまで深刻なPFAS汚染を起こしてしまっては、既に覆水盆に返らずの状態で、回収など不可能だ。①今後も琵琶湖-淀川水系を水道水に利用するのなら、FPASを完全除去できる施設を設けること。もっとも、完全除去処理はどこの河川水であっても行う方がよい。②汚染された土壌を除去、あるいは遮断処置を講じ、地下水への浸透を可能な限り食い止める。③新たなPFAS汚染を起こさない。④血液検査で体内汚染が確認された人々への生涯補償を行う(血漿1ミリリットル中に、幾ナノグラム以上とするかは欧米の厳格な規制値に従うこと)。ダイキン工業淀川製作所からは、排気塔からも大気中にPFOAが排出されており、近畿一円に拡散していった。従って、補償の対象を摂津市や大阪府に限ってはいけない。海底も高濃度に汚染されているだろうから、漁業等に就く人々に、積極的に行政から検査を呼び掛けること。大阪はかつて、水の都と呼ばれていた。水運が盛んであっただけでなく、清浄な飲み水もまた魅力だったのだ。それが一企業の強欲により、とてもおぞましく、悲しいことになってしまった。
依然としてダイキン工業は、自社工場による環境汚染を認めたくないようだ。しかし米国に渡るなら事情が違うらしい。アラバマ州テネシー川をPFOAで汚した際、ダイキン・アメリカ(ダイキンの子会社)は、和解金として400万ドル(約4億4000万円)を支払っている。テネシー川は水道水の水源でもあるので、浄化設備費用にも使われた。
摂津市議団:御社がアメリカアラバマ州での裁判で400万ドルを支払って和解したのは、テネシー川をPFOAで汚染し飲料水にできない状況をみとめたからではないか。
ダイキン:和解金が飲料水の浄化設備費用に使われることは事実ですが、和解によって弊社子会社の責任や違法性がみとめられたわけではありません。
(TANSA 2022年3月4日付記事を参照・引用)
デュポン社を相手取った集団訴訟(ウェストバージニア州)の件についても、ダイキン工業は同じようなコメントをしている。「裁判は和解で決着しており、この結果は裁判所が判決を出してお墨付きを与えたものではありません」
(諸永裕司『消された水汚染』p.243、2022年、平凡社新書)
ところでTANSA所属の女性記者が、エリン・ブロコビッチ張りの追い上げを見せているが、なぜか大手メディアはダイキン工業に触れようとしない。フッ素化学事業のトップクラスであるだけでなく、軍需産業(銃弾・砲弾・火薬)でもある企業を批判することに腰が引けるのか? 彼らが非を認めない限り、企業名を出せないのか? それならどうして、未だ被疑者の段階にある一般市民であるにも関わらず、名前や顔写真を載せるのか? あるいは単に、TANSAに先を越されているのが面白くないのか。憂慮すべきことに物的証拠は多々あるのだ、下らないプライドなど要らないので、市民の為に検証記事を書いて欲しい。事実に重みが増し、更に多くの市民の命と健康を守ることに繋がるのである。
〔*補〕WHOは、各国の人々の健康を守り、増進する目的で設置された国連機関だが、原子力推進組織の干渉を受け続け、本来の仕事がやり難い状態に置かれている。これについて『チェルノブイリの犯罪 核の収容所』上・下巻(ヴラディーミル・チェルトコフ著、中尾和美・新居朋子監訳、髭 郁彦・コリンコバヤシ・新郷啓子翻訳、2015年、緑風出版)に記述がある。かなり参考になると思う。ついでなので、この本の感想文を以下に載せておくことにした。
物理学者のヴァシーリ・ネステレンコ博士は、チェルノブイリ原発事故がもたらす健康被害の実状や、政治と社会の動向について知る上で欠かすことのできない人物の一人である。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチも『チェルノブイリの祈り』の第三章でネステレンコ博士を取り上げており、強く印象に残っている。
ネステレンコ博士はベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所の所長を務めていたが、チェルノブイリ原子力発電所の事故発生直後から市民の避難と保護を訴え続けたことにより解任される。KGBによる脅迫と暗殺未遂事件を物ともせず、ベルラド放射線防護研究所を設立(1990年)、人々を放射性物質から守るべく支援活動を本格化させた。ベルラド研究所が開発したペクチン剤「ビタペクト(商品名)」は有名で、体内に取り込んだ放射性核種の排出を促進する効果がある。一日に4キロものリンゴを食べなくても済むのだ。
ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報の公開)を掲げるゴルバチョフ書記長の時代ではあったが、ことチェルノブイリ原発事故に関しては新たにカーテンが用意され、被害の全貌を隠蔽し、中央集権制度下で染み込んだ思考様式を市民の中に呼び覚まそうとした。ネステレンコ博士は嘆く。「スターリンの国家です。あいかわらず、スターリンの国家なんです」(『チェルノブイリの祈り』松本妙子訳、岩波現代文庫、2011年、p.242)。
1996年以降、ベルラド研究所はゴメリ医科大学(ベラルーシ)と協力しながら核汚染地帯を廻り、人々の内部被ばくを計測、どのような食習慣にすれば被ばくを抑えられるかを地元の人々と話し合った。ゴメリ医科大学を創設したのは解剖病理学者のユーリ・バンダジェフスキー博士である。小児科医、心臓科医である妻ガリーナと共に、セシウム137が心筋を劣化させ心筋疾患を引き起こすことを初めて明らかにした。内部被ばくは、それがたとえ少量であっても、生命維持に必須な臓器(脳、心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓)を侵す。かくも健康被害は多様であり、急性放射線障害と甲状腺に限ったものではない。後にバンダジェフスキー博士は福島原発事故による健康被害について述べ、「日本の子どもがセシウム137で体重1キロ当たり20~30ベクレルの内部被曝をしていると伝えられましたが、この事態は大変に深刻です。とくに子どもの体に入ったセシウムは、心臓に凝縮されて心筋や血管の障害につながるためです」(朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』、Gakken、2012年、p.144)と危惧している。
1999年7月13日の深夜、バンダジェフスキー博士は逮捕される。そして2001年6月18日、ベラルーシ最高裁判所軍事法廷は汚職の罪で8年の禁固刑を言い渡した。事件を捏造し、虐待と恐喝でありもしないことを「自白」させ、監獄に閉じ込めたのだ。ルカシェンコ大統領の背後にはKGBと国際原子力ロビーが控えている。バンダジェフスキー博士の研究は健康被害の真実、知られざるその深刻さを暴露するが故に、原子力産業にとっては目障りこの上ないのである。しかしガリーナ・バンダジェフスキー博士、ネステレンコ博士と大勢の科学者、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル、ジャーナリストらの粘り強い救援活動により、2005年にようやく釈放される。
『チェルノブイリの犯罪』の著者ヴラディーミル・チェルトコフは、ユーリ・バンダジェフスキー博士の投獄を知ったのはまったくの偶然だったと同書で述べている。ジャーナリストのチェルトコフは、ドキュメンタリーフィルムも手掛ける。1999年9月、自作を出品していたフランスの映画祭に足を運んだところ、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチと《在外ロシア人》同志のおしゃべりを交わす機会があった。
「会話を締めくくろうというとき、私はスヴェトラーナに、『ネステレンコは元気かね』と尋ねた。ネステレンコは《チェルノブイリの祈り》の登場人物の一人で、彼女は彼と知己であったからだ。
『それがあまり元気ではないのよ。友達が逮捕されたんですって』
『誰?』
『ゴメリの医師だそうよ』
『バンダジェフスキーじゃないのか』
『そう』
『そんな大事なことをそんなにさらっと話すんですか!』私は瞬間、凍りついた。どうしたらいいんだ」
(『チェルノブイリの犯罪』上巻、pp.331‐332)。
バンダジェフスキー博士が逮捕されたのは二ヵ月も前のことだった。「これこそ鉄のカーテンだ。手で触れることはできない。しかし東側諸国の市民の心に今でもれっきとしてそそり立ち、冷戦の勝利者である西側世界と距離を取らせるのだ。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチでさえ、私が共通の友人の消息を儀礼的に尋ねなければ、自分からは話してくれなかっただろう」(同、p.332)。監視国家で培われた忌々しい気質に、チェルトコフは改めて不快感を覚えるのである。
ネステレンコ博士とバンダジェフスキー博士、そしてガリーナ・バンダジェフスキー博士はベラルーシの汚染地帯に残された50万人の子どもたちを救おうとした。許し難い不条理と闘ったのである。『チェルノブイリの犯罪』はそうしたサムライたちの活躍と苦悩を克明に記録している。また、核汚染地帯に住まわざるを得ない人々へのインタビューに大分を割き、微塵も気にかけようとしない国際原子力ロビーの非情さを告発する。そしてそれは、福島原発事故後の有り様と重なるのである。
私は『チェルノブイリの犯罪』から多くを学んだ。例えば「インディペンデントWHO」についても踏み込んだ記述があった。「インディペンデントWHO」とは、原子力推進政策をとるIAEA(国際原子力機関)との協定締結(1959年)によってがんじがらめにされているWHO(世界保健機関)を開放し、本来の仕事をさせるべく奮闘する市民組織である。彼らの運動の広がりは大きな希望の一つである。
邦訳は上下巻合わせて約1100ページになるが、『チェルノブイリの祈り』で何らかの感情を抱いた人であれば、比類なき関心を持って読み進まれることと思う。
石橋宗明