ホッケースティック

ホッケースティック

2009年11月24日付 “ニューヨーク・タイムス” に掲載された漫画.
広瀬隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』、p.25、集英社新書、2010年より.

二酸化炭素地球温暖化説は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によるデータを基に、科学として唱えられ始めた。いわゆる「ホッケースティック」と呼ばれるグラフを差し出し、20世紀に入ってから地球の気温が上昇を始めたのは、産業活動による二酸化炭素の排出増であるとする(2001年の第3次評価報告書)。横這いのグラフの線が、1900年頃から急激に上昇カーヴを描いていることから、ホッケースティックに例えられた。しかし当初から、その信憑性に疑問を呈する科学者が少なくはなかった。中世の温暖期と、その後の小氷河期を故意に省いているとしか思えないからである。そして2009年、クライメイトゲート事件が起きた。イギリスの気候研究所から膨大な量の交信記録と文書が流出し、それが発端となりIPCCの捏造が暴露されたのである。

マイクル・クライトンはベストセラー作家としても有名だが、『恐怖の存在』(2004年)は酷いものだった。出来の悪いB級映画を見ているような代物で、何度も放り出してしまった。『アンドロメダ病原体』や『緊急の場合は』など、数多の傑作を世に送り出した同じ小説家によるものとは思えないほどである。とは言うものの『恐怖の存在』には、その陳腐さを補って余りある見所がある。多くのグラフデータを引き合いに出し、データ元となった研究機関も明記しながら、二酸化炭素地球温暖化説に疑問を突きつけ、議論を吹っ掛けている。しかもこの小説は、クライメイトゲート事件が起きる5年も前に書き上げられている。「ホッケースティック」曲線が人々の不安を煽り始めた頃、その真偽を確かめようと検証を始めたのだろう。

安手の冒険小説ではなく、『五人のカルテ』のようなルポルタージュに徹するべきであった。殊に巻末の、《付録1 政治の道具にされた科学が危険なのはなぜか》は一読に値する。冒頭のパラグラフを引用してみる。
「ここにひとつ、新しい科学理論があると思ってほしい。それは目前にせまった危機を警告し、その危機を回避する方法を説くものであるとする。
この理論はたちまち世界じゅうの指導的な科学者、政治家、名士の支持を集める。研究は複数の著名な慈善団体から資金提供を受け、複数の有名大学で行なわれる。この危機のことは頻繁にメディアで報道され、この理論自体が大学や高校で教えられることになる。
ここでいっているのは、地球温暖化理論のことではない。一世紀前に大きな盛隆を見た、まったくべつの理論のことだ」(マイクル・クライトン『恐怖の存在』下巻 p.393、酒井昭伸訳、早川書房、2005年)。
そして彼は、二酸化炭素地球温暖化説と優生学との類似について持論を展開する。優生学はまったく根拠のない「科学」であるにも関わらず、多くの科学者や政治家、藝術家の支持を得た。シオドア・ローズベルト、ウッドロウ・ウィルソン、ウィンストン・チャーチル、アレグザンダー・グレアム・ベル、カーネギーやロックフェラー財団、大学ではハーヴァード、イェール、プリストン、スタンフォード、ジョンズ・ホプキンズ、劇作家のバーナード・ショー等々。あろうことか、H・G・ウェルズまでもがかまけていた。人類の劣化と衰退という恐怖が席巻し、まともな反論を封じ込めてしまったのである。更に恐るべきことに、優生学はやがて、ナチスによる大量殺戮の「学術的」根拠となっていった。

気候変動は古来、周期的に繰り返し起きている。冷静に対応策を講じてゆけばよい。憂慮すべきは、IPCCや大手メディアを始めとする、恐怖を煽り続けている人々である。ヒートアイランド現象と地球温暖化を意図的に混同させるなど、トリックを用いて私たちを欺こうとする。美術家もまた、科学を装った風潮に絡め取られてしまっているだろうか。優生学一色に染まった時代、異論を憚り、科学者が口を閉ざしてしまったように。あるいは抜け目なく時流に乗り、売り込みを図る美術家や批評家もいることだろう。だが、二酸化炭素地球温暖化説の行く末には、原子力への回帰が待ち構えている。自由な精神を持ち合わせ、生命に奉仕する藝術家は、決してそれに加担すべきではない。

石橋宗明